クオルがタスマニアンタイガーと同じように絶滅する危機にある 2014/10/17

      2016/05/18

The Conservation 2014年6月30日

『Quolls are in danger of going the way of Tasmanian tigers』part1

"クオル (Quoll和名:フクロネコ) がタスマニアンタイガーと同じように絶滅する危機にある" (英文PDF)

担当者:Kazane

<要約>

オオヒキガエル(Cane toads)やキツネやネコの導入や、過去200年におけるそのほかの大きな変化により、クオル (Quoll和名:フクロネコ) が大きな被害を受けている。しかし、私たちが早く行動すれば、彼らを助けられるかもしれない。

鋭い歯を持ち、それに見合う立ち振る舞いをするクオルは、オーストラリアの最も素晴らしいハンターのうちの1つである。クオル(300g~5kgできれいな斑点のある有袋類)は、牧草を蝕む外来性の虫やげっ歯類の抑制や動物の死骸の除去に、大きく役立っている。オーストラリアにウサギを導入する初期の試みを妨害した功績すらある。

しかし、クオルは、その生息数が劇的に減少している(Action Plan for Australian Mammalより)。クオルが属する種は、かつてはオーストラリア全体に数多く生存していたが、現在では、そのすべてが絶滅の恐れにあると考えられている。すべての州においてではないにしても、連邦政府と国際的なリストも、この評価を反映している。

幸運にも、クオルの一つのグループにおいては希望の兆しが見えており、これらの小さいが獰猛なオーストラリアの捕食者が、タスマニアタイガー(*)を含む他のかなり多くの特徴的な哺乳類と同様に絶滅しないようにするならば、私たちはこの希望から何かを学ぶ必要がある。

ノーザン・クオル(Northern quoll)

絶滅の危機にあるノーザン・クオルは、事実上、オオヒキガエル (Cane toads) の登場により、いくつかの地域から消え去った。最も小さくそして最も絶滅の危機にあるノーザン・クオルは、かつてオーストラリア北部全体(クイーンズランド州東部~西オーストラリア州のピルバラ(Pilbara)にかけて)に生息していたが、この100年の間に多くの広大な地域から姿を消し、そのほかの多くの地域では個体数が劇的に減少した。この理由は、おそらく、牧畜や火災の発生型の変化や野良猫の影響であろう。

しかし、ノーザン・クオルの元凶はオオヒキガエルであり、彼らは自分を食べようとする ノーザン・クオルに毒を与え、殺す。 ノーザン・クオルの生息数はオオヒキガエルの広がりにより広大な地域からまたたく間に姿を消し、島に住む ノーザン・クオルさえ、がれきや洪水の水によって漂流してきたオオヒキガエルによって、姿を消してしまった。これは餌となる種が、その捕食種を広大な地域にわたって絶滅させてしまうという最もまれな生態学的ねじれである。

しかし、希望はある。いくつかの個体群は、カエルが氾濫した地域においても存続しており、これは、おそらく、いくつかの個体はカエルを積極的に食べなかったり、オオヒキガエルを避けることを学んだりしているからであろう。ある興味深い生態工学においては、研究者は、捕食に対する味覚嫌悪反応トレーニング(**)を利用して、ノーザン・クオルにオオヒキガエルを避けることを教えることに成功している。

このような希望的な兆候にもかかわらず、今後3,4年の見込みは、主に、最近オオヒキガエルに侵略されたKimberley地域での破滅的な減少となっている。

(*)タスマニアタイガー・・・1936年に絶滅したと考えられている。別名フクロオオカミ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F

(**)吐気をもよおす化学物質を、カエルの足のミンチでできたカエルソーセージに含ませ、フクロネコに食べさせると、それ以降カエルを食べなくなったという実験結果。http://www.abc.net.au/catalyst/stories/2922937.htm

<感想>

弱者となることの多い食べられる側が、その天敵である食べる側を絶滅させてしまうというのは、確かに今まで聞いたことがなく、興味深い記事だった。生態というもののバランスの難しさを知った。ありのままでさえ、こんなにも自然の仕組みは複雑かつ巧妙であるのに、そこに人間の影響が加わると、まさに無秩序状態になるのだなと感じる。時には人間による攪乱が野生動物や自然にいい影響を与えることもあるので、どのように、そして、どの程度人間が自然とかかわっていくべきなのかは永遠の課題であると思った。

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