THE VIEW FROM HERE with journalist GAIL BRUCE 2011/11/1

      2016/05/26

Redland Times 2010年9月24日

THE VIEW FROM HERE with journalist GAIL BRUCE

(英文PDF)
要約&記事 KAZUKI FUJII

要約

13年前、私は母親のコアラがウィシャートのグラバト山からカパラバにかかる道路で車にはねられ孤児になった一頭のコアラを養育した。

一歳の誕生日の頃、Nickyは保護された場所からそう遠くないブリンバ川のほとりにかえされた。捕獲されたコアラは彼らの(もしくは彼らの母親の)生息域に戻すというのがクイーンズランド州公園と野生動物局(QPWS)の方針だ。

そのとき、わたしにはいくつかの懸念があった。わたしが、どんなに長い間、野生動物レスキューに勤務して、コアラの縄張り意識の強さを理解していても、どれほどのウィシャートの居住者が彼らの庭を夜にコアラもつかっていることを考え付くのだろかと。また、そこは、高速道路の出入り口に目と鼻のさきなのだった。
“彼女の身に何か起こっていないだろうか”、“だれか彼女のことを気にかけていてくれているだろうか”などと、Nickyについて様々な考えをめぐらせたものだった。

今週の初めに(皮肉にもコアラ保護週間であったのだが、)、Nickyがモギルコアラ病院に運び込まれたという連絡をうけたときの私の驚きは想像がつくだろう。

13年の時を経て、彼女は生きていたのだ。そして、はなされた場所から一区画ほど離れたところで見つかった。
“驚くほど長生きだったね”と彼らは言った。そして、例の命に係わる注射がなされた。その注射は、痛みもなく数秒で彼女の存在を消し去るのだ。安楽死が最も思いやりのある選択だった。なぜなら、彼女の歯は歯肉まですり減り、もはや食事ができない状態だったのだから。

記録のよると、Nickyはこの病院へ今までに運び込まれたなかで最年長のコアラで、生涯で6回は子を生したであろうということだった。

郊外でコアラは生きられないといえるのだろうか?

感想

保護された動物が元の環境に帰っていくことは大変難しいというイメージがある。今回の、Nickyのように保護され、再度自然にかえされたすべての野生動物がなんら変わりなくその環境で過ごせているとは言えないだろう。

コアラの場合その生息域が民家や道路を含んでしまっていることが少なくない。そのため、飼い犬に襲われたり、今回のNickyの母親のように交通事故にあうコアラが後を絶たない。運よく保護され、元の生息地の戻しても、また怪我などが原因で保護されるということあるようだ。

そのなかで、記者の懸念である“わたしが、どんなに長い間、野生動物レスキューに勤務して、コアラの縄張り意識の強さを理解していても、どれほどのウィシャートの居住者が彼らの庭を夜にコアラもつかっていることを考え付くのだろかと。”という一文がとても心に響く。

野生動物保護については様々な考え方があるとは思うが、専門家の努力のみでは種の維持には限界があるのではないだろうか。コアラを守るとしても、環境学者、獣医師たちだけでは生息域にかえし、その後も暮らしていくことはとても難しい。かえることができる受け皿が必要だ。そのためには、その生息域にすんでいる住民、もっと言えば、社会にその動物がどういうものか、どうして守るのかをよく知ってもらうこともとても大事なことだと考える。

理解をしてもらうことで、専門家にまかせきるのではなく、住民たちみんなで“引き受けて、考える”という共同自治を行っていくことができるようになっていく。この記事で、個人だけでなく社会が保護していくという形が必要なのだと再度感じた。

“知らないから何にもできない”ではなく“知ったうえで、何ができるか考える”ことができるように、このブログで小さな貢献ができればと思う

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